About
長谷川恭子
1984年 東京の畑が多いエリア生まれ
2003年に1型糖尿病発症。今年で、1型歴17年目。
就職/社会人留学🇬🇧/結婚/出産/3度の転職/管理職へ昇進/起業は全て発症してから
大手外資IT 現役管理職
5歳1歳の子育て中ママ
治らない病気とのお付き合い、
失業、友人との決裂、
ソウルメイトとの死別、
早産、緊急手術、
ハラスメント被害など色々な挫折も経験したアラフォー
人生の後半戦に向けて、認定コーチの資格を取得し、
パラレルキャリアをスタート
旅行 映画 建築 インテリア ウクレレ ピクニック が好き
どんな場所でも探検して、楽しみを見つけるのが得意
人生は楽しんでなんぼ。
人生を終える時は
「あぁ楽しい人生だった!最高だったなぁ」と言えるような
人生を送るのが目標!
多分、私は、この時から誰かのストーリー、人生、それがどう表現されるか に興味を持っていたんだと思います。
畑の多いエリアの東京生まれ、東京育ち。ひとりっこ。
祖父母の家も近かったため、共働きの両親と、祖父母の家を行ったりきたりな幼少期を過ごす。
中学・高校は女子校へ。いつも同じルートになってしまいがちな通学ルートに飽きないように、ウォークマンやMDで音楽を聴きながら、いつも通らない道を通りながら、寄り道しながら、何かワクワクするものないかな?と思いながら通学していた。
今でいう推し活も14歳でデビュー。推しの歌詞が英語だったため、翻訳なしで唱えて理解するようになりたいと思って、教科書より、歌詞カードを授業中よく読んでいた。
好きな映画も言語のまま受け取りたくて、プロットや台本に出てくる英語を調べて読んでセリフを覚えていた。
ゆえに、英語はあまり無理やり努力しなくても、スーパー得意科目だった。
もちろん、ティーンらしく、その時流行ってたいた、ルーズソックス、紺ソ、プリクラ、カラオケなどもひと通りもこなしていました。
勉強するのならば、自分が没頭して心から興味の持てることをの視点で、映画の研究がしたくて早稲田大学へ。
多分、私は、この時から誰かのストーリー、人生、それがどう表現されるか に興味を持っていたんだと思います。
日中は大学で映画や人文系の勉強に勤しみ、大学の後は、渋谷の映画館でバイト。
いつも、面白いものないかなぁと雑誌ぴあの熟読がバイト先での日課でした。
大学在学中に、イギリスへ交換留学。
得意だと思っていた英語が全然わからず、通じず、カルチャーショックを受ける。
思っていた環境と違う中で、どうこの1年を満足するものに変えていけるか、の修行。
日本に帰ってきて、2003年夏。
一気に7kg減、極端な喉の乾きと、疲れ。
日本に帰ってくるだけで痩せるなんてすごいな、
”優秀でないといけない”という呪縛で頑張ってきた結果、自分への期待値と、現実とのギャップに悩んできました。
社会人留学して、そのあとどうする?を、考えずに直感的に日本を飛び出して、出戻ってきってしまった私。
帰国後キャリア迷子で、同世代と比べて著しく低い年収や結婚の予兆すら見えない自分の状況に焦りに焦って、自己肯定感がだだ下がり。
30歳でどん詰まりを経験。
23歳の時、1型糖尿病という、原因不明で、かつ治らない自己免疫疾患を突然発症。人生最大の絶望と理不尽に直面。
そんな持病があっても、絶対大丈夫だと証明しなくては、と必要以上に優秀な自分になろうと頑張ってきてしまっていた。
持病があっても、結婚だって、妊娠出産だって、管理職にもなれる、それでこそ私なんだ!
出産してもこれまで通りなんでも、うまくやるママになるぞ!
でもふと振り返ると、それは誰のためだったんだろう?
私はこんなに頑張らないと価値のない人間なのかな?
ぐちゃぐちゃに絡まった私を縛り付けていた呪縛のような思考を解いてくれたのがコーチングでした。
必要以上に優秀であろう、価値を還元できる人間であろうとすることで、周りの期待に答えること> 自分の本当の気持ち を優先してきました。
コーチングを通じて、自分を最高のパートナーとして受け入れ、勇気づけられるようになり、人生を前向きに伴走できるようになりました。
サービス立ち上げへの想い
この劇的な経験を元に、ほぼ本能的にコーチングの勉強に取り組みました。
こんな風に自分が気づいていない無意識の
- 仕事もプライベートも大事にしたい女性
- 1型糖尿病などの持病と共に生きる女性やその家族
- ビジネスをもっと成長させようとがんばる方
が、心から望む人生をサポートするために、このサービスを始めました。